1868年(明治元年)東京に築地ホテル館 完成 

(2002.07.08)

 日本で始めて日本人経営によるホテル 築地ホテル館が誕生したのは1868年(明治元年)でした。
 東京築地の外国人居留地7000坪の敷地に、アメリカ人R・P・ブリジェンス(横浜・新橋の駅舎を造った人として有名)を基本設計士として慶応3年7月より工事が開始されました。完成までの間に大政奉還があったり、明治という時代になったり、いやまあ関係者の皆さんは大変だったことでしょう。
 出来あがった建物は木造3階造り(一部塔屋など4階部分もあり)の立派な物で、なんとビリヤード室もありました。これがおそらく東京で始めて設置されたビリヤード台ではないでしょうか。
 「日本ホテル館物語」では築地ホテル館の当時の模様を他の文献から引用しています。
引用の引用になりますが、ビリヤードに関するところを記載しておきます。
「寝台や便所を珍しく見物した事、入り口の右手が玉突室で、二台の玉台(ポケット付テーブルであつた様だが)が備付けてあつた事、頂上の塔に昇る螺旋階段が設けてあつた事は確に記憶して居た」 
伊藤一隆  幕末のホテル 雑誌「同人」
「食堂(ダイニングホール)の他に、ビリヤード室、応接室(ドローイング・ルーム)があり、長い廊下とベランダがある。ここで外国人はおいしい食事と宿泊を、一日につき三ドル、すなわち九分、つまり一三シリング六ペンスという妥当な値段でとることができる」
 サミュエル・モスマン 新しい日本(ヨコハマのクラブとエドの外国人ホテル)
 上記の文からすると東京に始めて設置されたビリヤード台はポケット台だったようです。ただ、この台は現在のポケット台ではなく、設計者ブリジェンスがアメリカ人のことから当時アメリカで流行していた赤玉2個白玉2個の四つ玉を使い、白よりポケット・・・2点 赤よりポケット・・・3点 白赤双方に当りポケット・・・5点というルールの台でしょう(日本の四つ玉旧ルールの点数計算の原型になったゲーム)。
アメリカでも1863年頃からこの様式の台のポケットの数が6個から4個になり始めているので、築地ホテル館の台ももしかすると4つ穴かもしれません。

 この築地ホテル館ですが残念なことに明治5年2月に下町一帯に起きた大火で焼失してしまいました。

参考文献 日本ホテル館物語 長谷川堯 著 プレジデント社


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