1871年(明治4年)東京に撞球場が出来る

(2002.07.15)

 明治4年になると東京の市内にも撞球場が出来てきました。最初は明治4年加賀町(現在の銀座7丁目)の三宣亭というお店で、お客は大山巌や村田中将(新八?)などの新政府のお偉方でした。
次に出来たのが、明治5年京橋区釆女町(現在の中央区築地)の精養軒、そして明治6年神田昌平橋側の萬代軒、麹町区紀尾井町(現在の千代田区)の紀尾井亭、麹町区元園町の玉楽亭、京橋区鎗屋町(現在の銀座4丁目)の相生亭などが開業いたしました。ただこれらの店は撞球専門店ではなく、西洋料理店と兼ねているのがほとんどでした(精養軒はホテルも経営)。専門の撞球店が出来るのはもう少しあとのこと明治15、6年の頃でした。東京で最初の店、三宣亭はおそらく明治5年2月の火事で焼失してしまったのでしょう。その後名前を聞くことはないようです。
 また、現在は「東京で最初の店は明治4年上野にできた精養軒」と一般でいわれていますが、精養軒のホームページを見て判るように精養軒が営業を開始したのは明治5年4月のことですし、それも中央区。上野に支店をだしたのは明治9年4月のことですので、これはどうかなあと思います。

参考文献 撞球指南 玉乃 一熊 民友社
撞球場日記 東京撞球普及会
明治西洋料理起源 前坊 洋 岩波書店

※追記 紀尾井亭は明治17年、相生亭は明治8年開業との説もあり。(2002.09.19)


新政府の偉い人A

「西洋料理、ごちそうさま」
新政府の偉い人B

「西洋料理、ああ美味しかった」
新政府の偉い人A

「これからは薩摩長州、力を合わせて関係なく列強に負けん日本国をつくっていかんとなァ」
新政府の偉い人B

「列強の力は強大だからな」
新政府の偉い人A

「うむ、その日本の進む方向についてだな、
あそこに玉突き台があるのであれをやりながら話そう」
新政府の偉い人B

「おおっ!文明開化の玉突き!」
新政府の偉い人A

「例えばだ、この赤い玉がメリケンだとする」
新政府の偉い人B

「ふむふむ」
新政府の偉い人A

「するともう一つの赤玉はエゲレスだわな。それでこっちの白玉はロシアだとしよう」
新政府の偉い人B

「すると我が日本はこの玉か・・それで今後の日本は?」
新政府の偉い人A

「うむ、では先ず日本はメリケンに当てて…」
スカーッ!(当たらない)

新政府の偉い人B

「当たらんじゃないか、君」
新政府の偉い人A

「い・いや、すまん!エゲレスに当て・・」
スカーッ!

新政府の偉い人B

「ええぃ!どけ!お前には日本は任せておけん。ワシがやる!
先ずだな、日本はこのロシアに・・」
スカーッ!
「エゲレスに」
スカーッ!
スカーッ!

新政府の偉い人A

「この下手糞。退かんか!薩摩芋。 俺が突く」
スカーッ!
スカーッ!
スカーッ!
スカーッ!

ボーイ
(嗚呼、日本の運命や・・・)