1879年(明治12年)初めての撞球本 出版される

(2002.07.19)

 明治12年には、初めての撞球本「弄玉集(ろうぎょくしゅう)」が出版されました。この本はアメリカのビリヤード本(著者はカルフォルニア州在のダーモン氏?)の翻訳である思われます。弄玉集の挿絵に6個のポケットが描かれていますが、この頃にはもうすでにアメリカでも廃れてますね、この台を使うキャロムゲームは。
 「弄玉」とは宇津木信夫氏の造語というか、”ビリヤード”の超訳ですが、この言葉はその後流行らなかったみたいですね。


 「弄玉集」は三編(章)から成り、第一編の専門用語の説明では「カローム」「キツス」「ミスキユウ」など現在でも使われている語句の他に「ハザルト」など当時使われていた語句も混じっています。
それ以外には弄玉の大意やフォーム、玉の撞点など。それらを超要約すると、
 女性はメース(メナス・ホッケーのステックみたいなキュー)を使って優雅に突きなさいよ。男性は格好なんか気にしちゃダメよ。
中心突は手玉止まるよ。随行突は進み、飛突は飛んで、竪突はマッセのことでこれ難しいよ。力突は手玉戻るから。
あとね「ビーヤルドシヤルブ(ビリヤード・シャーク ハスラーの隠語)」には気をつけてね。巧いこと言って金巻き上げるから。

といったことが書かれています。

 第二編では主にショットの力加減について書かれています。
バンキングで手前の短クッションにぴったり着くぐらいの力を第一号の衝突力とし、第ニ号の衝突力はその玉がさらにセンターまで行くぐらいの力、第三号の衝突力はさらに向こうの短クッションに届くぐらいの力、第四号の衝突力はまたさらにその玉がセンターに戻るぐらいの力として、第何号、何号半の力という単位で説明しています。

 第三編ではポジション・プレーの説明が書かれています。かなりレベルの高い本だとは思いますが、ルールに関しては詳しく書かれていないのが残念です。
 この弄玉集、果して売れたのでしょうかね?

 撞球本についてはその後、明治19年に「欧米玉突指南」 アルベルト・ガルニール 著 水島米蔵 訳
明治20年に「球つき指南 西洋遊戯」 ミッシェル・ヘレン 著 小田錦江 訳 などが出版されました。

参考文献 明治文化全集 第八巻 風俗編 日本評論社発行 明治文化研究会
国立国会図書館 データーベース


旦那
「おう、なんでも町じゃ玉突きってなモンが流行っているそうじゃねぇか」

丁稚 「へぇ、棒で玉を突くとか」

旦那
「それでな、俺も流行の遅れない様に玉突きっていうモンをやってみようと思ってな。
お前ちょっと、弄玉集という本を買ってきてくれ」

丁稚 「へぇ。それじゃちょっと行ってきます」

・・・しばらくして・・・

丁稚 「旦那、買ってめいりやした」

旦那 「おう!ご苦労さん。どれどれ。

旅ゆけばぁ〜駿河の国に茶の香りィ〜
ってこれ浪曲集じゃねぇか!」