1882年(明治15年) 大阪で賭け玉一斉手入れ

(2002.12.18)

東京では政府のお偉いさんやお大尽を中心に玉突きが流行り始め、そして庶民の間にも少しずつ広まっていきました。
一方大阪はというと、同じ様に玉突きが流行りましたが、お金を賭けることがまずかったのか、なんと明治8、9年頃にビリヤードがご禁制になってしまいました。
社会問題になってしまったのでしょう。明治9年5月20日の読売新聞には「大阪で禁制なら東京もご禁制にしたほうがいい」という余計なお世話な社説も載っています。
当然、大阪のナイスガイ達はそんな圧力には屈さず、裏でこっそり玉突きを続けていましたが、やはり賭け玉でそれも一日千円以上も金が動いていたらしく、警察にはこっそり目をつけられていたようです。
そして明治15年2月14日の夜 警察官史による一斉手入れが行われました。
数百人の警察官に踏み込まれた玉突き所686軒。
このため負傷した人の数400余人。
川には水上警察が派出、川に逃れようとして捕まったもの300余人。
捕縛された者2300余人、警察署は捕縛された人で充満し立錐の余地もなし
(朝野新聞).
えらいこっちゃ〜
それにしても一晩で2300人とか一日千円以上とかはさすが大阪、今も昔もビリヤード好きが多い所ですわ。

参考文献 明治ニュース事典 毎日コミュニケーションズ 
明治世相編年辞典 朝倉治彦・稲村徹元 著 東京堂出版
ニュースで追う 明治日本発掘 1 鈴木孝一編 河出書房新社

当日事件を目撃した人の証言

Aさん:
いや〜ビックリしましたわ。いろんな人が川に飛び込んで。
知り合いのカーネルさんも巻き添えくって川に落されてましたわ。



Bさん:
私見ました。走って逃げる人を。
その人300メートルぐらい走った後で捕まりました。
これだけ警察の人がいたらお手上げでしょう。



Cさん:
泡食って逃げる人でイッパイでした。
驚いて目が飛び出しそうになりました。
しかし賭け玉ですか。道楽が過ぎたようですな。