1887年(明治20年) 諷刺画家ビゴー 撞球を描く

(2002.11.17)

 フランス人画家ジョルジュ・フェルディナン・ビゴー(1860〜1927)が浮世絵の勉強のため日本に来日したのは、明治15年 21歳の時でした。最初は陸軍師範学校の画家教師として雇われていましたが、明治19年から仏英の画報新聞の通信員になり、明治20年から横浜居留地で時局諷刺雑誌「トバエ」を刊行することになります。外国人の目からみた明治の日本を諷刺したこの雑誌は当然治安当局から目をつけられていましたが、そこは横浜居留地という治外法権ということでなんとか発禁ならずにすみました。
 その第2号(1887年3月1日刊)にはビリヤードが描かれています。
キャロム台と壁には算盤。男はチョークを塗っているのでしょうか。

 ソファーの丸に十字の印からこの部屋は旧薩摩藩邸ではないかと云われています。
女性は芸者さんでしょう。ソファーに寝そべっている行儀の悪い人は、初代文部大臣森有礼と云われています。
この森有礼、最初の奥さんは明治13年外国人とデキちゃうし(結局離婚)、本人も明治22年伊勢神宮に土足で参拝したとして、国粋主義者に暗殺されます。身持ちの悪い奥さんと行儀が悪い旦那さん・・・

 ちなみに「トバエ」というのは外来語ではなく、江戸時代漫画のことを表していた鳥羽絵からつけられました。
鳥羽は「鳥獣戯画」を描いたといわれる鳥羽僧正のことです。

参考文献 ビゴーが描いた明治の女たち 清水勲 著 マール社
幕末明治風俗逸話事典 紀田順一郎 東京堂出版


建前ダス

「やれやれ・・・玉突きも難しいものだのう。
少し休ませてもらうぞ」
「アタシはもう少しこの玉突きというものをやらせていただきます」
「お嬢サン。お上手。私とサシで勝負デスネ」


本音ダス

「ケッ!なにが玉突きだよ。当らねぇよ。
それにしても今日の芸者、ブ細工だな。
だが、足はいいねぇ。薄目開けて見てよ。
もうチィト足上げねえかな」
「フン!下手糞ども。この玉はこう突いて当てるのさ。」
「チッ!この女、えらいブ細工やなぁ。森サンとデキてるのかな?クックック
でも胸元はイイネ。色眼鏡でワカンナイだろうから、胸元ダケ見てよ。
もうチョット谷間見えねェかな」